サカナの辞意

ADHD持ちが映画や漫画を語るブログです。

シン・エヴァンゲリオン持論解説

あくまでも持論なのでオタクの妄言として読んでいただければと思います。

 

エヴァンゲリオンとはどういう物語であったか

エヴァンゲリオンは、実に様々な要素がミルフィーユのように重ねられた物語だ。ロボットアニメの上にSF,学園モノ、少女漫画、昼メロ、といった要素がこれでもかと言わんばかりに重なっている。そのため、本来何の話だったのかが見えにくい。が、タイトルから考えると非常にわかりやすい。

通常、ロボットアニメの作品タイトルは、ロボットの特性を表す冠詞+ロボット名である。殆どがそうだ。「機動戦士ガンダム」(機械で動く戦士であるガンダム)、「超時空要塞マクロス」(時空を超える要塞であるマクロス)、「勇者王ガオガイガー」(勇者王ガオガイガー)。

ところが、エヴァンゲリオンはこうだ。「新世紀エヴァンゲリオン」。新世紀の福音の物語であると宣言している。なお、ロボット名が現実に意味のある単語である作品というのも珍しいのではなかろうか。これは意図的だと思う。そのタイトルの通り、旧劇においても新劇においても、最終的に碇シンジエヴァ初号機内に安置され、新世界創造の要となる。これはオープニング曲である「残酷な天使のテーゼ」における「少年よ神話になれ」に符合する。(Wikipediaを読む限り、ストーリーに沿って書かれたものではないようなので、この符号は実に神がかり的なものである。)つまり、エヴァンゲリオンという物語は、碇シンジが神となり世界を再創造する神話の物語だったというわけだ。

※SF設定部分の解説はyoutubeに山ほどあるのでそちらを参照のこと。

 

■新劇場版、破とQについて

物語の本筋は上記のようなものである。これを踏まえた上で、新劇場版について語っていく。

序はTV版とさして変わらないように見えたので説明を省くが、破から物語は大きく変化する。綾波レイは人間味溢れ、碇シンジは生き生きとしており、アクションも強め、コクピット内で叫んでしまう。さながらロボットアニメの様だ。ユーザーが望む様な。当然大きな批判が生まれたが、これは意図的なものだ。当然、破壊の破なのだ。旧TV版、旧劇を徹底的に破壊するのが破の目的だ。

続いてQである。Qには3つの意味がある。まず1つ目。破から一転して、Qでは旧TV版、旧劇を彷彿とさせるドロドロとした展開となる。碇シンジのウジウジ感、冬月コウゾウ碇シンジの父親かもと匂わせる将棋のシーン(昼メロ要素)、カヲル君の死。破でオミットした旧TV版、旧劇要素が全て詰まっている。そう、Qは旧を指している。そして2つ目。旧作マナーで作った結果、碇シンジは精神崩壊したけどこれが見たかったの?本当にそれでいいの?不幸な物語だけが見たいの?という問いかけ。庵野監督からファンに向けてのQuestion。のQ。そのQuestionを投げかけられたまま、我々は待たされた。Qの公開2012年からシンの公開2021年まで、9(Q)年の年月を。3つ目。新世紀鉄道999。(さすがにムリヤリなのはわかっているが、こんなん好きでっしゃろ?)

 

■シン・エヴァンゲリオンとは?

最後にシンを解説していきたい。まず、シンとは何か?原罪のシンだろう。そもそもの原罪とは、イヴが知恵の実であるリンゴを食べてしまったことだ。この罪は末代まで消えず、アダムとイヴの子孫たる人類はすべて罪人なのである。なお、原罪は死ぬことで洗い流される。キリストはゴルゴダの丘で一度死に、その後復活しているため、罪が無い(神に近しい)人間として崇められているわけである。

では、何が罪なのか。それは、エヴァンゲリオンという物語を生み出してしまったこと、それ自体である。エヴァンゲリオンという残酷な物語を通して、キャラクターを、声優を、そして監督自身をもすり減らした罪、加えて、数多のオタクを歪ませた罪でもある。その証拠に未だに過激な旧約派がサツガイ予告などしてくるハメになっている。いいかげんにしろ宗教戦争

上記の通り、原罪は死ぬことで洗い流される。そのため、すべてのエヴァンゲリオンにここでさようならすることで、エヴァンゲリオンという作品自体の罪を洗い流すことこそが、シン・エヴァンゲリオンの目的だったのだ。

 

■ラストシーンについて

碇シンジが最後の天地再創造(ネオンジェネシス)を行った後、マリによって首輪が外される。これはつまり、ようやくエヴァという首輪から庵野監督が開放されたことを示す。地球(ガンダムコンテンツ)に隕石を落とそうとしたが、アムロやオタクや会社やスポンサー達がそれを許してくれなかった逆襲の富野監督と比較すると非常に興味深い。そして首輪が外れた碇ヒデアキは実写の街に飛び出し、シンウルトラマンやシン仮面ライダーのネオンジェネシスに向かうわけである。なんと美しい物語なのだろう。

 

最後に、この戯言を面白いと思われたのならば、再度エヴァシリーズを見直してみてほしい。そして、自分なりの解釈、考察を是非してみてほしいと思う所存である。

 

以上。